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10・28イベント紹介

10・28のイベント紹介です。
この前紹介した元町での「ドイツ・イギリスのフェアトレード事情報告」とかぶりますが、11月4日(日)に外大で講演をされるジャーナリスト伊藤千尋氏の講演を載せておきます。

『伊藤千尋が語るもう一つの人生☆目指すべき世界』
        ~ゲバラの夢、中南米の今~

チェ・ゲバラが亡くなって今年で40年。ゲバラが抱いた夢は何だったのか、それはどう表現されているのか。9月から10月にかけてアルゼンチンやキューバなどを訪れて見た現地の様子を報告する。日本の夏よりも暑く、自立に向けて胎動する中南米の人々の現状を語ろう。そこから日本の未来が見える。

●2007年10月28日(日)   サラ・シャンティ(クレアール六甲2F 阪急六甲駅から徒歩1分 JR六甲道から徒歩8分) 午後2時~5時(質疑応答含む)

●定員70名(要予約・先着順)

●一般1500円 学生1000円

●予約 サラ・シャンティ 清水まで
TEL/FAX 078-802-5120

ラテンアメリカに馴染みがない人は全然わからないかもしれませんが、チェ・ゲバラについて語る講演ってとても興味深いです。今週11日に帰国され、昨日講演でお話しする機会があったのですが、取材中は4時間の睡眠が続いたそうです。早速関東と関西を講演で往復する毎日なようで、そのエネルギーとフットワークにびっくりしました。
とても熱い方なのでMANAのMTGにもお呼びしたいくらいですが…(笑)
4日はぜひ大ホールに来てくださいね☆

(たけ)
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【雑感】コメントに対するコメント

えーと、水野です。コメントを書いていたら長くなってしまったので新たに記事を立てます。

>「みんなが幸せになれる形でつながる」にはいったいどうしたらいいのでしょう。「つながらない」ほうがそれぞれの価値観のなかで幸せに過ごせるのではないか


僕も以前は、「繋がらない」ことが幸せな事なのではないかと思うことがありましたし、今でも(少し形は変わりつつも)思っています。最初にそういうことを考えるようになったのは絶滅の危機にある言語のことを考えていた頃です。あのころ自分は、『少数の言語を守ってあげなくちゃ、彼らが自分たちの言語で過ごせるよう何かしなくちゃ』などと本気で考えていました。もちろん当時の自分としては偉そうだとかそういう自覚はありませんでしたし、本気でそれが唯一の正義だと頑なに信じていました。多分、「お前はそんなこと言ってなんて傲慢なやつだ!」なんていってやったら本気で怒り出したことでしょう。酔っ払いが酔っ払っていないと言うのと同じなのでしょうね。

圧倒的な力の差を前にして、それでも少数の言語が、その言語を話す人たちが尊厳を保つことができる、(言語の放棄も含めて、その話し手が自己決定をできると言う意味)そうするにはもう完全に、物理的に切り離すしかないのではないか、そんなことを本気で考えていました。また、この圧倒的な力の差と言うのは言語以外にも、経済、文化、様々な面で見られる事を考えはじめ、一人で危機感を募らせてもいました。今思うとかなり滑稽なぐらい凝り固まっていました。

「多様性は可能性、どんなことがあろうとも、どんな目的に基づいてでも、どんな場合であっても絶対のもの、絶対的な力を持つものはあってはならない。世界は一つにまとまっちゃいけない。「たくさんの世界から成る世界」こそが皆が幸せに暮らせる社会だ」本気でそう考えていました。

ただ、今はやや考えが変わってきています。その理由は、色々あるとは思いますがいつだったかの友人の一言がそのきっかけだったと思います。

世界というのはこんな自分が心配するような弱いものでも、単純なものでもなくて、もっと計り知れないものだ。人間ってのはこんな自分が心配するほどやわな生き物じゃない、とそんなことを考えるようになりました。自分は誰かを助けてあげることなんてできないし、するような分際じゃない。

もちろん、それとは逆に現実問題として僕達が世界中のいろいろな人の中でも相対的に「力」を持っていると言うことも事実であると考えています。平たく言えば要するに経済力と社会的地位、それに「学」のことなのですが、それはやっぱりそれとして認めるべきだと思います。

そんな、半ば矛盾したようなこんがらがった状況で、最初の問いに戻ってくるわけです。「『みんなが幸せになれる形でつながる』にはいったいどうしたらいいのでしょう。」僕はとりあえず「良き隣人」であることを目指そうと、今は考えています。これもまた曖昧な言い回しなのですけどね(^^;。あくまで隣にいる人であって、完全にわかりあうこともなく、嫌なこともしつつ、されつつ、たまには助け合う。時には自分のほうが偉いなんてことも考えつつ、時には隣の花は赤いなぁなんて思ってみたりもしつつ、そんな感じなんじゃないかなと思います。もちろん「繋がらないでそれぞれの価値観の中で幸せに過ごす」ということも可能性の一つとして考えています。(もちろんあくまで選択肢の一つですが)

とまぁ、なんかえらい抽象的な話ですいません。「で、結局なんだよ。」と思われるかもしれませんが、その通り結局当たり前のことを言っているだけです。とはいえ当たり前のことだからこそ普通の人間には達成することは不可能なわけでして、だからこそ常に一歩引いて自分を見ることを心がけることが最低限のマナーなんじゃないでしょうかね。

また、自分を一歩はなれてみようとすると言うこと、それは他人の批判を受け入れる態度を持つことも要求するものでもあり、また裏返せば(一見矛盾するようでもありますが)積極的に他人を批判することも要求しているとも考えられます。そういえば、MANAには他人を批判する風潮があんまり無いかなーなんて思うことが時々ありますが、そんなことも多分こんな文章を書く動機の一つになったのかもしれません。というわけで今回は敢えて色々と挑戦的なことを言いましたが、なんか思ってことがあれば積極的なレスをお願いします。

というか、ミーティングに顔を出せってことか(汗)。

いやはや、長文失礼しました。















【雑感】フェアトレードの「教育」

えーと、水野です。

どんなことでも実践と省察の二つがあって始めて意味のあるものになるとは思うんですが、自分自身色々と思うことがあってしばらくはMANAの試飲会などに積極的に関わっていこうとは思っていません。ここに自分の考えを書くことが他の人にとって有益かは?ですが、まぁとりあえず自分のために今まで考えてきたことをポツポツまとめて行こうと思います。ポツポツ書いていく中で色々と発見することがあればいいな、と思っています。



この前MANAの勉強会で誰だったかが「生産者にフェアトレードの意義だとかを説明したり、教育したりしなくちゃいけないと思うんですよ。」というようなことを言っていた。正確にはよく覚えていないが、大体そんな内容で間違いは無かったと思う。

多分彼女が言いたかったのは、フェアトレードはその意義を全ての利益関係者が理解した上で行われるべき、先進国のロハスバンザイ・途上国支援バンザイ・フェアトレードバンザイ病にかかった一部の人間達のイニシティアブではなく、途上国の人との協働で行われるべきだ、と言いたかったのだろう。

しかし、彼女の言っている「教育」の意味は何だろうか。多分「先進国の学のある人たち(私達)が何も知らないかわいそうな途上国の人たちに素敵な貧困解決の手段を教えてあげる。」と言うことなのだと思われる。こう書いてしまうと意地の悪い批評だ、などと思われてしまうかもしれないが、事実そう考えているとしか思えないのだから仕方が無い。事実、先進国で「普通」に生きてきて「普通に」大学に入って・・・と生きてきた私達に「学」があるのは当たり前だし、そうでない人たちにそうでなくても当たり前である。

ただし、その逆もまた真である。私達は、私達とは全く違った環境で生きてきた人たちが学ぶような事柄は何も知らない。私達の言う学はあくまで私達の学であって、それ以上の何者でもない。

エスノ・サイエンスと言う言葉がある。簡単に言えば特定の社会集団内で培われた独自の科学と言うところだろうか。ヨーロッパで現在一般に言われる「科学」が発達したように、世界各地の様々な集団で、自分たちを取り巻く環境を説明する理屈が考えられてきた。具体的には創世神話や薬草をはじめとして動植物に関する知識体系などであったりする。

そうかんがえると、私達の学問(=科学)もたまたま欧州の一部で発生したエスノ・サイエンスが元になっているのであり、数多の中の一つにしか過ぎないのである。(もっとも、人類史上最も多くの人が参加してきたと言う点では最も完成度が高い可能性があると言えるのかもしれないが)言いかえれば、絶対的なものではなく相対的なものであるということだ。そして、そうした相対性を無視した形でいままでどれほどの開発が計画され、失敗してきたのだろうか。一体どれだけの紛争が起こってきたのだろうか。

フェアトレードの現場も含めて、人と人とが相対する場面においては「教育」というものは相対性を前提にしたうえで協働して行われなければならない、というよりかはそうした形以外で行われるものは「教育」ではなく、一方的な価値の押し付けにとどまってしまうのではないだろうか。フェアトレードなんて曖昧なものはいかようにも解釈できるし、だからこそどんな形にも変化しうる。某大手のコーヒー会社の政策を「実際大手の力が無ければどうにもならない」と言う人も入れば「羊頭狗肉を許すな」と言う人もいる。フェアトレードだってやり方によっては一方的な価値の押し付けによる搾取の一形態とだって十分になりうるのだ。

最後に来て気が引けるほど当たり前を言うことも何なのだが、大事なのはフェアトレードと言うものを伝えることではなく、フェアを追及することでもなく、有機栽培を広めることでもなく、市場を拡大することでもなく、持続可能な発展をすることでもない。消費者も生産者も含めて「みんなが幸せになれる形でつながる」ことなのだ。そしてそれを達成するためにはいつでも、どんな時でも、自分の考え、ニーズ、価値観などを伝えるだけでなく相手の考え、ニーズ、価値観を考えることが不可欠なのだ。

当たり前なことなだけにやっぱり見失うことも多いこういった事、彼女の発言はそれを思い出すいいきっかけになったのだが、一方で彼女の発言に露骨に表れていたような考えを完全に克服することはおそらく無理だろうな、とも思った。

この壁は乗り越えられないのだろうか?
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プロフィール

みづの

  • Author:みづの
  • MANAは2005年7月、神戸市外国語大学の有志が中心となって組織した団体です。目的はフェアトレードの実践を通じてフェアトレードについて知識を深めることと大学内や地域におけるフェアトレードの普及でした。現在はフェアトレードだけでなく、貿易・開発・人権など様々な視点から物事を考える・学ぶ場として活動しています。
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