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ゆるやかなマルチチュードのネットワーク


2005年12月のMLより。

武田です。
わたしの考えるMANAのあり方について。
自分の言葉で書いたほうがいいのですが、横着させてもらいます・・・・
またいろいろ話し合っていきましょう。
とりあえず、
「コミュニティタリアニズム -普遍的正義と自立した個人の自己決定を否定する」
2004年5月8日 <
http://www14.plala.or.jp/Cuba/estudio01.htm> より一部転写。
そのまま引用ですみませんが。

・・・個人は共同体の文化から遊離した自由な意志決定はできない
 例え、どんな文化的な背景を持っていても、人は強制されることなく自由になりさ
えすれば、その都度自律的な意志で判断できるはずだ、というのが、近代的なリベラ
リズムの大前提だった。
 だが、少し考えてみればわかるように、言語、エスニシティは生まれ落ちた時に、
「他者」から与えられるものである。アンデンティティを形成する宗教や風習も自分
の意志では選択できない。どれだけ徹底したリバータリアンでも、自分が選んだわけ
でもない共同体の中で、他者と相互に制約しながら生きていかざるを得ない。
・・・・・
・・・イタリアの哲学者アントニオ・ネグリ(1933~)は、伝統的な革命主体としての
「プロレタリアート」のかわりに、世界を変えていく運動の担い手として、マルチ
チュード(multitude)という概念を持ちだしている。マルチチュードとは、もとも
とは17世紀のオランダの哲学者、スピノザが用いた政治哲学用語で、神的霊感にイン
スパイアーされ、その場に集まってくる雑多な群衆のことをいう。
 確固として集団を形成するほどの明確な共通性はない。だが、なんとなく、変化を
求めた人々のゆるやかな集まり。しかし、いろんな人々がその場になんとなく集まっ
て、その場その場での出会いに応じて、コミュニケーションしている間に、自分をめ
ぐる新たな関係性がイメージされていく。そうした新たに産まれた関係性が、さらに
複合的にネットワーク化されていくことで、自分もなんとなく変化していく。そこで
は、デモ活動を行なったり、ビラをまいたり、ボランティア活動をするようにプレッ
シャーをかけられることもない(1)。ゆるやかなマルチチュードのネットワークの動
きはスローかもしれない。だが、コミュニティに根差したゆるやかな社会変革こそが
いま求められているのである
・・・・・

おやすみなさい。
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みづの

  • Author:みづの
  • MANAは2005年7月、神戸市外国語大学の有志が中心となって組織した団体です。目的はフェアトレードの実践を通じてフェアトレードについて知識を深めることと大学内や地域におけるフェアトレードの普及でした。現在はフェアトレードだけでなく、貿易・開発・人権など様々な視点から物事を考える・学ぶ場として活動しています。
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