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【雑感】フェアトレードの「教育」

えーと、水野です。

どんなことでも実践と省察の二つがあって始めて意味のあるものになるとは思うんですが、自分自身色々と思うことがあってしばらくはMANAの試飲会などに積極的に関わっていこうとは思っていません。ここに自分の考えを書くことが他の人にとって有益かは?ですが、まぁとりあえず自分のために今まで考えてきたことをポツポツまとめて行こうと思います。ポツポツ書いていく中で色々と発見することがあればいいな、と思っています。



この前MANAの勉強会で誰だったかが「生産者にフェアトレードの意義だとかを説明したり、教育したりしなくちゃいけないと思うんですよ。」というようなことを言っていた。正確にはよく覚えていないが、大体そんな内容で間違いは無かったと思う。

多分彼女が言いたかったのは、フェアトレードはその意義を全ての利益関係者が理解した上で行われるべき、先進国のロハスバンザイ・途上国支援バンザイ・フェアトレードバンザイ病にかかった一部の人間達のイニシティアブではなく、途上国の人との協働で行われるべきだ、と言いたかったのだろう。

しかし、彼女の言っている「教育」の意味は何だろうか。多分「先進国の学のある人たち(私達)が何も知らないかわいそうな途上国の人たちに素敵な貧困解決の手段を教えてあげる。」と言うことなのだと思われる。こう書いてしまうと意地の悪い批評だ、などと思われてしまうかもしれないが、事実そう考えているとしか思えないのだから仕方が無い。事実、先進国で「普通」に生きてきて「普通に」大学に入って・・・と生きてきた私達に「学」があるのは当たり前だし、そうでない人たちにそうでなくても当たり前である。

ただし、その逆もまた真である。私達は、私達とは全く違った環境で生きてきた人たちが学ぶような事柄は何も知らない。私達の言う学はあくまで私達の学であって、それ以上の何者でもない。

エスノ・サイエンスと言う言葉がある。簡単に言えば特定の社会集団内で培われた独自の科学と言うところだろうか。ヨーロッパで現在一般に言われる「科学」が発達したように、世界各地の様々な集団で、自分たちを取り巻く環境を説明する理屈が考えられてきた。具体的には創世神話や薬草をはじめとして動植物に関する知識体系などであったりする。

そうかんがえると、私達の学問(=科学)もたまたま欧州の一部で発生したエスノ・サイエンスが元になっているのであり、数多の中の一つにしか過ぎないのである。(もっとも、人類史上最も多くの人が参加してきたと言う点では最も完成度が高い可能性があると言えるのかもしれないが)言いかえれば、絶対的なものではなく相対的なものであるということだ。そして、そうした相対性を無視した形でいままでどれほどの開発が計画され、失敗してきたのだろうか。一体どれだけの紛争が起こってきたのだろうか。

フェアトレードの現場も含めて、人と人とが相対する場面においては「教育」というものは相対性を前提にしたうえで協働して行われなければならない、というよりかはそうした形以外で行われるものは「教育」ではなく、一方的な価値の押し付けにとどまってしまうのではないだろうか。フェアトレードなんて曖昧なものはいかようにも解釈できるし、だからこそどんな形にも変化しうる。某大手のコーヒー会社の政策を「実際大手の力が無ければどうにもならない」と言う人も入れば「羊頭狗肉を許すな」と言う人もいる。フェアトレードだってやり方によっては一方的な価値の押し付けによる搾取の一形態とだって十分になりうるのだ。

最後に来て気が引けるほど当たり前を言うことも何なのだが、大事なのはフェアトレードと言うものを伝えることではなく、フェアを追及することでもなく、有機栽培を広めることでもなく、市場を拡大することでもなく、持続可能な発展をすることでもない。消費者も生産者も含めて「みんなが幸せになれる形でつながる」ことなのだ。そしてそれを達成するためにはいつでも、どんな時でも、自分の考え、ニーズ、価値観などを伝えるだけでなく相手の考え、ニーズ、価値観を考えることが不可欠なのだ。

当たり前なことなだけにやっぱり見失うことも多いこういった事、彼女の発言はそれを思い出すいいきっかけになったのだが、一方で彼女の発言に露骨に表れていたような考えを完全に克服することはおそらく無理だろうな、とも思った。

この壁は乗り越えられないのだろうか?
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comment

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「みんなが幸せになれる形でつながる」にはいったいどうしたらいいのでしょう。

逆に、「つながらない」ほうがそれぞれの価値観のなかで幸せに過ごせるのではないか、などと思いました。

私は途上国の人を「かわいそう」と思っているのではありません。私たちが「学」と呼ぶものなんてなくても彼らは彼らで自分たちの生活を送っているわけで、それを「かわいそう」などと考えるのは傲慢すぎますよね。
フェアトレードを持ち込むのであれば関係者にその意義も当事者にしっかり説明すべき、とは考えています。

インカの「キープ」なんてすごかったんだろうな。

話はちょい違いますが雑談。

最近のイグノーベル賞のニュースも、水野氏の観点からいけば「先進国の価値観で笑える」発明ないし出来事なのであって、そもそも科学の絶対性が世にまかり通っているという大前提が必要なんですよね。

こんなことを考えているとある本の下りを思い出しました。
「よい技術とはシンプルな技術のことだ」
複雑なテクノロジーに比べるとシンプルなテクノロジーを発明するほうがずっと難しいということです。
水野氏のいう「私たちの学問」の枠組みの中で、欧米や日本などにおける「発明」というのは、その時点までで育ってきたあるテクノロジーや哲学からさらに複雑なテクノロジーなり哲学を生み出すことを指してきたと思われます。
例えば明日、未開の奥地である先住民の家族が電気というものを発見して大喜びしても、それは脚光を浴びることはないわけなんですよね。
さらに緻密なもの、さらに複雑なもの、というように今日の発明はハイテク技術の組み合わせで何を取り出せるかに主眼が置かれている気がします。
一方、シンプルな技術・哲学の発見に求められるものは何か。それはより深い知恵と熟考、そして(これが一番大切だと思うのだが)熟考に必要な膨大な時間であります。

さて、人類が無数の便利さや情報に囲まれて試行錯誤が減ると、シンプルさ、つまりある種当たり前とされる概念から道理を導くことができなくなっていくのではないかという懸念があります。とくもと氏の言う「つながらないことの幸せ」のひとつはここにあると思うのですが、一休さんのようなあまのじゃくのいる社会は発明が生まれやすい環境なんだと思います。今日の教育の影響も多大にあると思いますが、もはや当たり前を当たり前と思わないためにはある種の訓練や環境が必要だと思います。じゃ、どんな環境と訓練が必要か?各自考えてみましょう。
しかし、このままのペースで世界が進むと人間の性質そのものが変わってきそうでそら恐ろしいですね。

まとまりのない文ですが、要は「水野氏、一緒に研究職行こう」ってことですv-8あっ、誰か「インカ・マヤ・アステカ展」行こう☆☆

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みづの

  • Author:みづの
  • MANAは2005年7月、神戸市外国語大学の有志が中心となって組織した団体です。目的はフェアトレードの実践を通じてフェアトレードについて知識を深めることと大学内や地域におけるフェアトレードの普及でした。現在はフェアトレードだけでなく、貿易・開発・人権など様々な視点から物事を考える・学ぶ場として活動しています。
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